WOODZの「ABYSS」は、ファンとアーティストの関係を描いたように見えて、
その奥にはもっと普遍的な感情が流れているように感じます。
誰にも見せたくない“心の底”を抱えながら、それでも誰かとつながろうとする。
この曲には、私たち誰もが抱える不安や葛藤、
そして人との向き合い方が、そっと刻まれているように思います。
はじめに:WOODZが描く“心の底”
WOODZの「ABYSS」を初めて聴いたとき、
これは“ファンとアーティストの関係”を描いている曲だと感じました。
アーティストのすべてを知りたくなるファンの心理と、
それを受け止めながらも「すべては見せられない」と距離に悩むアーティスト。
そんな緊張感のある関係性が、まっすぐな言葉とともに浮かび上がってきます。
けれど、何度も聴いているうちに思ったんです。これは特別な関係だけの話じゃない。
「知られたくない部分を抱えながら、それでも誰かと繋がろうとする」
そんな私たちの日常の人間関係にも通じる曲なのではないかと。
たとえ大切な人に対してでも、心の奥底には“誰にも見せたくない自分”があるけれども
それでも本当は、愛したいし愛されたい。
「ABYSS」の歌詞は、そんな相反する気持ちをまっすぐに、
けれどそっと描き出しているように感じました。
「のぞむことはなんでもしてあげる」——与えたいけど近づかないでほしい矛盾
冒頭の歌詞「のぞむことはなんでもしてあげます。でも僕のことは知ろうとしないでください。」
一見優しくて献身的な歌詞なのに、どこか一線を引いたような距離感が漂っています。
寂しさを感じさせるこのフレーズは、
「嫌われたくない」「本当の自分を知られたくない」という、
隠された不安や弱さがにじみ出ているようにも思えました。
本心では、愛を与えるだけでなく心の奥まで知ってほしい気持ちもあるのかもしれません。
でも、傷つくのが怖いから、その想いを伝えきれずに、静かに線を引いてしまう
そんな矛盾が、この曲の“儚さ”の正体なのではないでしょうか。
「僕はそんなに自分のこと好きじゃないみたい」——WOODZの正直すぎる告白
最後に出てくる
「でも本当は不安」
「そんな姿を見せたら嫌われるんじゃないかと」
「僕はそんなに自分のこと好きじゃないみたい」
という歌詞は、冒頭の“のぞむことはなんでもしてあげます。
でも僕のことは知ろうとしないでください”というフレーズと強く対比されています。
最初は、どこか突き放すような態度にも見えましたが、
最後のフレーズを聴いた時にそれが自己防衛から来ていると思うようになりました。
自分のことをうまく愛せていないからこそ、
本当の姿を見せるのが怖くてだから一線を引いてしまう。
けれどその裏には、「それでも愛してほしい」という思いが隠れているように感じられます。
心の底にあるものを、歌にしてくれる存在
「ABYSS」は、誰かに愛されたいと願いながらも、自分のすべてを見せることにためらいがある
そんな“心の奥の感情”をそのまま映し出してくれるような曲だと思います。
WOODZが描いたのは特別な物語ではなくきっと誰もが抱える不器用な愛し方。
言葉にするのが難しい、けれど確かに存在するその感情を、
そっとすくい取ってくれるような歌声が
聴く人の胸に静かに寄り添ってくれます。
「こんな自分じゃ、嫌われるかもしれない」
そんな不安さえも包み込んでくれるからこそ、私はまたこの曲に救われた気持ちになるのです。
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